美術のコト_01
シンディ・シャーマン
前衛の女王、シンディ・シャーマン(1954年-)
アメリカ、ニュージャージー州生まれ。現代を代表する写真家であり、映画監督であり、美術家。
70年代後半より活動を開始。MoMAコレクション買い上げとなった自身を被写体とした白黒の写真シリーズ「アンタイトルド・フィルム・スティル」(1977〜80)で、一躍脚光を浴びる。以後セルフ・ポートレイトの代表的なアーティストとして活躍し続けている。
当ブログはワンダーワーカーの代表が、趣味のコトや仕事のコト、なんでもないようなことが幸せだったと思うコト、等々をただただ自由に書いてます。不定期更新。何卒。
現代アートの写真家、シンディ・シャーマン。
彼女の作品は、自分自身を撮影する”セルフ・ポートレイト”であり、その作風はコンセプチュアルなものが多く、 自身で架空の映画のワンシーンを演じる連作<Untitled Film Stills>で一躍有名に。
アートコレクターの間でも人気が高く、2011年には<Untitled #96>が3億1124万で落札された。
美術のコト#01、現代アートです。
最も好きな写真家のひとり、シンディ・シャーマンをご紹介します。
代表作の<Untitled Film Stills>は、典型的なヒロインが出演するハリウッドのB級映画のワンシーンや、ファッションや広告のメディアがつくり上げた女性のイメージを表現。
それらを一部の美術評論家は「見られる側にある弱者という構図を取り、ジェンダーの虚構性や性の問題について提起している」と述べているが、当のシャーマンは「俳優は舞台や映画で自分自身ではなく、架空の役を演じています。わたしはただ同じことをしているのです」と語っています。
彼女はよくフェミニズムのアーティストとみなされるが、シャーマン自身はフェミニズムの思想を特に美術を通して訴えているわけではないとのこと。
このシャーマンの「セルフ・ポートレイト」の手法は、今なお様々な芸術家によって模倣(ex. 森村泰昌)されていますが、 同様の手法で 彼女の芸術性を超えた作品は、未だに見たことがありません。
彼女の作品と彼女の手法を模倣した作品の最も大きな差異は、模倣のセルフ・ポートレイトは “パロディ” の域を超えることができないが、 彼女の演じるセルフ・ポートレイトには、ジェンダーという枠組みを取り払った(もしくは重要ではないカテゴライズとして)美術性と、それを伝える確固たる作品力です。
架空の物語の断片であろうその作品たちに、注釈や説明は一切与えられてない。
にもかかわらず、作品毎に切り取られた圧倒的な存在感は、まさにシンディ・シャーマンの美術力と人間力そのものでしょう。
現代アートは、マルセル・デュシャンのレディメイド* 以後、多様化の時代を迎え、科学との連携、哲学との対話、工業との融合…様々なアプローチがなされています。
そんな時代に「女性」という記号を通して「性」や「死」表現しながらも、その意図はジェンダー論ではなく、ただ良い役者を演じ、写真に自己投影するという確固たる強力な自己表現のセンスは、コンセプチュアル・アート* という枠組みから独立した新しいアート運動の息吹をも感じさせます。
表現者として自己をカンバスにみたて、光も闇も惜しむところなく表現し続ける彼女の作品は、制作年代によりポップなものから衝撃的なものまで多種多様です。その中には、あなたの核心を揺さぶるあなた自身を投影したポートレイトも、きっとあるはず。
つくづく、写真芸術は人間力だなと。


