本のコト_03

海と毒薬 / 遠藤周作

“海と毒薬”は、第二次大戦下の日本は九州にて、米兵捕虜が人体解剖の被験者となった実在の事件を題材にした遠藤周作の代表作であり問題作。

 

遠藤周作(1923-1996)

東京生まれ。幼少期は満州大連にて育ち、神戸に帰国。六甲-夙川-仁川等に居住し、この時期にカトリックの洗礼を受ける。灘中学校~慶応大学仏文科卒。1955年「白い人」にて第33回芥川賞受賞。キリスト教徒でありながら懐疑的な問題提起もし、神の定義や日本人の精神性、罪の意識、等を主なテーマに執筆。純文学とは別に、<狐狸庵先生>の別呼称で随筆エッセイも多数。前掲以外の主な作品として「沈黙」「わたしが・棄てた・女」「砂の城」「侍」「深い河」等。1995年文化勲章受章。

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ぼんやりのほほんと息を吸って吐いてしてるまに、いつのまにやら人生半分過ぎておりました。焦る。人間半分も生きるとどこかしこ故障が発生し、結果病院のお世話になることも増えた今日この頃。電車と飛行機と病院の待ち時間は読書が捗る三大空間だなあと思いまして。

そういうわけで、病院が舞台の小説を。

米軍捕虜生体解剖事件(九州大学生体解剖事件:実話)を題材にしたセンセーショナルな作品「海と毒薬」について。

 

キリシタンでありながら、懐疑的な一面ももつ遠藤周作は、神の存在、罪の考察、日本人の精神性や人種問題等を題材に問題提起する作品が多く、いわゆる重いテーマの作家ではあるが、狐狸庵先生の別称で書かれるエッセイではユーモラスな一面も多く散見できます。

 

そんな遠藤周作ですが、表題である代表作のひとつ「海と毒薬」は、重い、とても、重い。

実際に起こった事件がベースなのでさらに1.5倍重い。

 

物語は大まかに二部構成に分かれていて、一部は主人公である若手医師の<勝呂>を中心に生体解剖前日までのお話、二部はふたりの登場人物による一人称の独白手記と生体解剖前後を三人称で語る、そんな構成内容となっています。

 

なお、この独白手記は夏目漱石の「こころ」に似た構成であり、独白内容の中には太宰治の「人間失格」の葉造と竹一を想起させるエピソードもあります。

 

以下よりあらすじ。

 

【一部】は、第二次大戦下、F市の大学病院で勤める主人公の若手医師勝呂の話。ある日彼は助かる見込みは少ないが目にかけていた”おばはん”の患者が大学の実験材料にされようとしていたことに憤りを感じるが、若手である彼には局の教授たちに反対することはできなかった。

そんな中彼の上司の教授がVIP患者の手術に失敗し、死亡させてしまう。そして教授は局内の権力闘争挽回の為に、軍の意向に沿って米軍捕虜の生体解剖を引き受けることとなり、そこに主人公である勝呂と、かれの同僚である戸田も参加することとなった。

【二部】では、その生体解剖に関わった看護師と同僚の戸田、二人の手記、及び生体解剖当日の様子が物語られる。最後は、生体解剖実験後、主人公勝呂が病院の屋上にて、ただ虚無のなか海を眺める情景で終わる

 

第二次大戦下という、病気でなくても空襲ですぐ亡くなるという特殊な時代に、医者という命を救う仕事に少なからずまだ志をもっている主人公勝呂、うまいことそれなりに生きていければよい同僚の戸田、ドイツ人の妻を持つ上司の橋本教授。彼らがなぜ軍医の要望に沿って生体解剖実験を行ったのか。

 

その動機はそれぞれだが、各々闇を抱え、まるで決められた運命には抗えないように生体解剖実験に参加することになる。

主人公は何度も断る機会はあった、引き返す起点はいくつかあった、だがしかし、やはり、私は参加していたのだろうと後日譚で振り返っている。

 

この「海と毒薬」のテーマは、罪とは罪悪感とはなにか。良心の呵責とは、人間とはなにか―。

遠藤周作は、その答えを読者に問うておらず、十二分に余白を残した内容となっています。

私たちは勝呂であり、戸田であり、あるいは看護師でもある。それが人間の性(さが)であり、それが人間であると。希望も功名も嫉妬も執着も残虐も。

 

ああ、重たい。

 

しかし人間の闇を覗き込みどうしようもなく知りたくなるのも、また人間。

そんな方必読。

 

重いけど。

 

追記:遠藤周作の別名義「狐狸庵」先生は、素人の劇団立ち上げたり、音痴の合唱団をつくったり、下ネタ満載のエッセイ書いたり、なんか楽しそうでほんと何よりです。

遠藤周作
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