本のコト_02

異邦人 / アルベール・カミュ

“異邦人”は不条理をテーマにしたカミュの代表作のひとつ。

 

アルベール・カミュ(1913-1960)
アルジェリア生まれ。フランス人入植者の父が幼時に戦死、不自由な子供時代を送る。高等中学(リセ)の師の影響で文学に目覚める。アルジェ大学卒業後、新聞記者となり、第2次大戦時は反戦記事を書き活躍。またアマチュア劇団の活動に情熱を注ぐ。1942年『異邦人』が絶賛され、『ペスト』『カリギュラ』等で地位を固めるが、1951年『反抗的人間』を巡りサルトルと論争し、次第に孤立。以後、持病の肺病と闘いつつ、『転落』等を発表。1957年ノーベル文学賞受賞。1960年1月パリ近郊において交通事故で死亡。

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ジリジリと照りつける太陽に、夏の到来もすぐそこ…と思ったら毎年フッと頭によぎったりよぎらなかったりする作品をご紹介します。本のコト#02、不条理文学、カミュです。


アルベール・カミュ(1913~1960)フランス領アルジェリア出身。
表題の「異邦人」をはじめ「ペスト」「転落」「シーシュポスの神話」「カリギュラ」などが有名。 1957年、史上二番目の若さでノーベル文学賞受賞するも、1960年 交通事故により急死。フランツ・カフカと並び称される不条理作家カミュの作品は、まさにフランス的不条理、難解な仏映画に通じる心地よい倦怠感が、そこに存在します。

そしてこの異邦人は “ママンの葬儀の後、太陽のせいで人を殺し、死刑を宣告されながらも 自分は幸福だと思っている” という人のお話です。


主人公の男の名はムルソー。感情表現に乏しいがそれは冷酷とは異なり、他者とのコミュニケーションや社会生活を円滑にするための “ちょっとおおげさな” 表現を一切しない人間です。

小説の冒頭は「きょう、ママンが死んだ」から始まります。

彼は葬儀でも涙を流すことはありません。ママンを深く愛していたが、それと死とは別問題と捉えていた。 それは女性関係でも仕事でも同じで、感情と行動原理を全く別物として捉えていることで、周囲とのコミュニケーションがぎくしゃくすることもあったが、それでも彼は幸福でした。
そして母の葬儀の翌日に女性と関係を持ち、友人と海水浴に行った際に 友人の揉め事に巻き込まれ、成り行き上おもいがけず相手を射殺してしまいます。


物語の後半は、投獄されたムルソーとその裁判を中心に描かれます。
彼の感情と行動原理のかけ離れたその性格は、検察や判事によって “無感情の非人間的殺人犯” として仕立てられ、ムルソーの友人知人たちの証言も、彼を助けるには至りません。
そしてムルソーは、殺人の動機を “焼けるような太陽のせい” と述べます。
常人には理解しがたく悔恨の念も一切ない、とされたムルソーには死刑の判決が言い渡されます。 死刑を待つムルソーは、それでも自身を幸福であると確信し、処刑の日には多くの見物人が憎悪の叫びで迎えてくれる事を望みます…完。


ムルソーは悪意に満ちた確信犯ではありません。しかし、彼の感情を読み解くことができない大勢の人たちは、彼を異国から来た理解不能の “異邦人” として恐怖し忌み嫌う。
裁判の場面でも、”なぜ殺人する経緯に至ったか” ではなく “母の葬儀で泣かなかった事” がよりクローズアップされます。
話の大筋は、マジョリティーである人間らしい(とされる)感情を持つ人たちによる、感情と行動が乖離した(ように見える) “異邦人” ムルソーの排除です。

多数決の資本主義社会では所謂正論ですが、 感情の乏しいムルソー<≒ 実存主義*>と、理解できないものを理解できるように歪曲する人たち<≒ 本質主義*>どちらも等しく人間の側面であることは確かです。


この小説について、主人公ムルソーについて、殺人、死刑、宗教、心、実存主義…そういったものの善悪を論じるのはナンセンスではないでしょうか。善悪を論じること自体が、分断を招くのではないでしょうか。まさにムルソーと、その他大勢のように。


おそらくは、ムルソーのその独特な感情、思考、倫理観は、現代では特定の思考アルゴリズムとして分類されるのでしょう。或いは個々人の精神世界の個性として。ただ、ムルソーの生きた時代にはそのような概念は未だなく、そして、犯した罪と罰はまた別の問題であるのかもしれません。

それが幸か不幸かもまたピントのズレた話で、時代による倫理観の相違をifで語る意味もなく。


ジリジリと照りつける真夏の太陽の下で「異邦人」の文庫本を開き、ムルソーの個性的な言動に難癖つけつつ、哲学的命題にも少し思いを馳せながら、一気に読了する。

これがフランス不条理文学作家”アルベール・カミュ” の正しい読み方です。

仏モノは映画も文学も、入口と出口に遊びをもたせて、緩く受け入れて緩く出す、それが吉。

だと思うのです。わたくし。


意味を求めすぎず、白黒つけずで―。


そんなムルソーのお話、太陽ジリジリ道路テッパン汗汗汗な日に。ぜひ。


追記:タレントのセイン・カミュさんの大叔父です。男前家系。

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