

読書雑論01|トロッコ/芥川龍之介
本が好きです。 特別 多読なわけではないし、読まずにいられないという程でもないですが、本を読むことが好きです。 何かしらの局面で『趣味はなんですか?』と尋ねられると、 そんな時は決まって読書と答えています。至って平凡な回答ですが、本当のことなのでどうしようもありません。 小さいころから現在に至るまで、色々思い返して 変わらず好きだったものは .. やっぱり本かな、と思います。
というわけで、コラム最初は本についての雑論です。
本を読む、特に小説を読む という行為は、人生の疑似体験と言われます。自分が主人公のように思えたり、物語の参加人物に思えたり。 今回はそんな本の疑似体験の一番古い記憶。
小学校低学年のころ。
近くの本屋さんで、子供向け文学短編集の中の一編「トロッコ/芥川龍之介」を読みました。
ある炭鉱の町で、少年が工夫に声をかけ、大人に交じってトロッコに乗せてもらった。初めて乗ったトロッコはすごく速くて、ただただ楽しかった。が、段々と陽も落ちて夜が近づいてくる。
工夫たちが「もうそろそろ家に帰んな」というが、すでに遠くの知らない場所まできていた。少年は、線路をたどりながら 一人で怖くなり泣きながら家に帰った。
という昔の出来事を大人になった少年が、今でもその時の事をふと思い出す .. 。
ざっくりとこんな感じのお話です。
当時は怖かったですね、このお話。徐々に膨れ上がる焦燥感、その感覚が妙にリアルに感じられて。 主人公の少年とシンクロして、疑似体験していたんでしょうね。 まるで自分が ふと気づいたらとても遠くの知らない場所まで来てしまっていたかのように。
この「トロッコ」はいくつかの解釈で解説されています。
一般的な諸説はさておき、このお話の教訓は「ぎりぎりセーフ」なところです。
怖かったけど、最終的には無事に家までたどり着けた。
楽しい事、怖い事、不安な事、困難な事、色々あったけど、最後は無事に済んだ。
人生はその場その場で様々な局面に遭遇するが、たいていの事は杞憂に終わるわけで。
懸念事項がいっぱいあっても、過ぎてみれば無事なことがほとんどで。
ま、本当はぎりぎりセーフでなく余裕をもってセーフになればいいんですが、
なかなかそうはうまくいかないですよね。
でも大丈夫!
たいていの事は最終的にぎりぎりセーフです(笑)
ちなみにトロッコの焦燥感は、当時に置き換えると「宿題まだやってない」焦燥感でした。 大人になった今でも、余裕でセーフって なかなか難しいものです .. 。
